「フィンガー5」が存在しなければ、ダンスに興味を持つこともなかったかもしれません。
私にとって初のアイドルは「フィンガー5」でした。
TVの向こうで歌って踊る5人組に衝撃を受ける
その場からほとんど動くことなく、手だけの振り付けが多かった当時のアイドル達。
全身を使ってフォーメーションのあるフリを取り入れていたフィンガー5は当時、画期的でした。
1972年5月までパスポートが必要だった沖縄は異国のイメージが強く、5人が沖縄出身であることにもあこがれる理由の一つでもありました。
ジャクソン5をお手本にフィンガー5を作り出したからこそ、かっこいいんですね。(当時はフィンガー5が和製ジャクソン5とは知りませんでした。)
特に妙子ちゃんオシだった
小学生の可愛い女の子が紅一点で、歌って踊る姿に惹かれました。
5人兄弟の末っ子の妙子ちゃんにです。
今でいうSPEEDの前進のような存在です。
ミニスカートにハイヒールの衣装を身につけているアイドルが多い中、パンツスタイルの衣装はイケています。
当時歌って踊るシンガーといえば男性はヒデキ(西城秀樹)、女性はリンダ(山本リンダ)等がいましたが、グループ紅一点に特別感がありピンや同性ユニットとの差異に感銘を受けました。
初めて買ってもらったレコード
人生で初めて買ってもらったレコードがフィンガー5でした。
「個人授業」「恋のダイヤル6700」「学園天国」の3枚のシングルレコードを購入。
「学園天国」はキョンキョンがカバーした事でも知られている曲ですが、私は「学園天国」と言えば真っ先にフィンガー5が浮かびます(年齢のせいもありますが……)。
購入後、すぐに聞けるはずもなく、ソワソワしながら車に乗せられて自宅へ向かっていたことを思い出します。
今なら音楽データをスマホ等にダウンロードして、いつでも何処でも曲を入手できすぐ聞けますが、レコードを聞くためのレコードプレーヤーは家にしかないため帰宅するまでお預けです。
また、音を正確に出すためには、プレーヤーを揺れのない安定した場所に置く必要があるため、車にプレーヤーを持ち込んでレコード鑑賞に浸るのは到底無理なはなしです。
家に着くと待ちきれずレコードを抱えて速攻レコードプレーヤーのもとへ。
レコードを1枚プレーヤーにセットし、やっと曲を聞けます。
レコードに針を落とす時って、毎回わくわくしていました。
テレビに映る5人はファンみんなの5人で、レコードで1人聞いている時は自分だけの5人でいてくれるような感覚になっていました。
5人を独占できる幸せな時間です。
初めて購入したレコード3曲
「個人授業」, 「恋のダイヤル6700」,「学園天国」
一番好きな曲 ”恋のアメリカンフットボール”1974.6/23
自分の中では、フィンガー5史上、最もクールな曲。
1番好きな曲なのに、なぜかレコードを買ってもらえていないのです(😢)
1974年6/25発売。阿久悠(作詞) 都倉俊一(作曲)
のちに筆者はピンクレディの熱狂的ファンになっていきます。
恋のアメリカンフットボールの曲が気になりましたら、ぜひぜひ過去の映像を見て頂きたいです(YouTube等で視聴できます)。
妙子ちゃんのソロパート「どちらもどちらも大好きよ~」をマネして歌っていた
恋のアメリカンフットボールの妙子ちゃんのソロパート「どちらもどちらも大好きよ~私の心は決められな~い」を手のフリ付きで歌うのが最高にイカしていると思っていました。
小道具としておもちゃのマイクは必須アイテムです。
友達とフィンガー5の真似をして遊ぶとき、必ずといっていいほど妙子ちゃんの取り合いになっていました。
話し合いをしても決まらない場合、ジャンケンです。
妙子ちゃん役をゲットできた時は超ハッピー。
ゲットできなかった日は、帰宅後ひとり気が済むまでなりきり妙子ちゃんです。
1番人気が合ったのは少年期のマイケルジャクソンを彷彿させるメインボーカルの晃でしたが、私は妙子ちゃん推しでした。
今でも、時々ひとりでフリ付きで妙子ちゃんパートを歌うことがあります。
気分が上がります。
バスタオル含めたグッズをいくつか持っていた
未就学児のときにフィンガー5のグッズ何点かを親に頼み込んで買ってもらいました。
その中で5人のイラストが白とオレンジ色の二色刷りで描かれたバスタオルだけずっと持っていて、実際30代半ばまで使っていました。
バスタオルは唯一残ったフィンガー5のグッズでしたが、消耗が激しくなって泣く泣く処分しました。
まとめ
私がアイドル好き、ダンス好きになった原点はフィンガー5、特に妙子ちゃんにあるようです。
50代になった今でもアイドルにワクワクし、YouTubeを見ながらダンスを覚えたりと充実した日々を送れているのは妙子ちゃんのおかげと言っても過言ではありません。
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