今回は私の父に関するエピソードを紹介させていただきます。
父は悪いことと決めつけてすぐ怒鳴る癖がありました。
時代は高度成長期、
母親が食事の支度をしている間、私は米の入った米びつに頭を突っ込んで遊んでいました。
それを見た父親が私を怒鳴り、バツとして暗い押入れに閉じ込めたのです。
両親は共働きだったが、当時は”母親が100%家事を受け持つ”というのが主流
母親はフルタイム勤務のうえ、子育て&苦手な家事を一人で抱えていたのは、かなりの負担であったと思います。
母親は家事をしている間、私の相手ができないため、米びつで遊ぶのがお気に入りだった私をそのまま遊ばせていた
当時(昭和40年代)の米びつはブリキ製でドラム缶を低くした形をしていました。米が上までたっぷり詰まっているところに、頭を突っ込んで浮いた足をバタバタさせて遊んでいました。
母親は食べ物で遊ばせておくのは良くないと思いつつ、家事で忙しく、やむ負えず放置していました。また、私が楽しそうにしていたため、そのまま米びつで遊ばせていました。
それを見て父激怒
食べ物を遊びものにしていたことに対して、父の怒りがマックスに。当時2歳の私は怒られた理由をわかるはずもなく、後に母親から聞きました。
バツとして2歳の一人娘を暗い押入れに閉じ込める
父はバツとして2歳の私を暗くてカビ臭い押入れに閉じ込めたのです。般若のような顔の父親。押入れと父親Wの恐怖で、大泣きし続けていたことを、今でも鮮明に覚えています。
まとめ;
父親は怖いと思った一番古い記憶です。私に全く悪気がなくても、“私の態度が悪い”と父親が判断すれば間髪入れずに怒鳴るスタイルは、私が大人になっても続きます。
この件に関しては、父親が遊び相手を買って出れば解決したはずです。
少なくとも楽しく遊んでくれるような父親なら、私との間に溝はなく、現在までずっと良好な関係を保つことができたのにと思わずにはいられません。
残念ながら、程度の違いはあれど、私も含め毒親のトラウマで悩んでいる方々が存在します。 つらい体験をしたのは私1人だけじゃないんだ”と考えられるようになれば、少しでも気持ちがラクになるのではないでしょうか。 私の書く【毒親】の記事が毒親のトラウマで悩んでいる方の助けになれば幸いです。 |
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